第一次大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜となるマレシャル大尉とボアルデュ大尉。さまざまな階級の人間の集う収容所で、一緒になった連中とも打ち解けないままに、やがて脱走計画が企てられる……。

ジャーナリストのウィルとジョセフィーンの結婚式で、ウィルの父親エドワードがウィルの生まれた日に釣った巨大魚の話を始めて招待客を楽しませたが、ウィルは父に今夜の主役は自分であると言ったことから、ずっと二人の不仲が続いていた。

デヴィッド・リンチ監督による衝撃的なサイコ・スリラー。妻レネエと平凡な生活を送る、サックス奏者のフレッド。ところがある日、ディック・ロランドは死んだ、と誰かがインターフォンで謎のメッセージを告げた。やがて一本のビデオ・テープが届く。そこには、妻をバラバラに切り刻む彼の姿が写っていた……。

ヤン・スヴェラーク監督の代表作となったハートフル・ストーリー。民主化前のチェコ、中年チェリストが金のためにロシア女性と偽装結婚するが、彼女は5歳の子を残して亡命。そこから、男と少年の交流が描かれていく。

夏を過ごそうと田舎町で下宿するハンバートに、未亡人シャーロットは積極的だが、当のハンバートは彼女の娘・ロリータに心奪われていた。やがてハンバートとシャーロットは結婚するが、夫が娘を愛してる事を知ったシャーロットは逆上のあまり事故死してしまう。心置きなく二人だけの暮らしと相成るはずだったが、近所の視線も気になり、ハンバートはロリータを連れて車で旅に出るのだが……。

ロンドンの劇場で劇作家のジェームズ・バリは新作の『リトル・メアリー』の初日を迎えていた。しかし、観客の反応は芳しくなく、翌日の新聞でも、酷評されてしまう。失意の中で日課の散歩に出かけるジェームズ・バリは公園で父親を亡くしたショックから夢や希望を持てなくなっていた少年ピーターとその家族に出会う。ジェームズは、兄を亡くして早く大人になろうとした少年時代の自分をピーターに重ね、励ましていく。やがて彼らとの交流から着想を得たジェームズは、新しい劇に取りかかる。

1965年、サイゴンにやって来た米軍放送の人気DJを通して間接的にベトナム戦争を描いた人間ドラマ。実在のモデル、エイドリアン・クロナウアーに扮したR・ウィリアムスのマシンガン・トークによる破天荒なDJぶりが痛快。ベトナム戦争ものとしては番外編に位置するが、戦場からの視点ではない所が興味深い。

サンフランシスコのとある街、失業した俳優、ダニエル・ヒラードは、3人の子どもが自分の全てというほどの、子煩悩な父親。しかし収入のない夫に代わって一家の家計を担っているやり手デザイナーの妻ミランダは、自分が連日疲れきって帰宅しても家事に全く協力せず子供達との遊びにかまけている夫や、自分だけが仕事に家事にと追われている事に強いストレスを感じていた。 長男クリスの誕生日、ミランダの留守中に自宅でパーティを開き、大騒ぎを起こしたダニエルは、堪忍袋の緒が切れたミランダからとうとう離婚の意思を告げられる。生活能力のないダニエルは養育権を奪われ、週一度限られた時間にしか子どもたちに会えなくなった。やがてミランダが仕事の忙しさで家政婦を募集していることを知ったダニエルは一計を案じ、メイクアップアーティストの兄の手を借りて、イギリスの老婦人ミセス・ダウトファイアにすっかり変身する。持ち前の演技力と女装で見事にミランダを騙し、家政婦として最愛の子供たちのそばにいられることになるが、それは同時にこれまで家事全般を省みた事のないダニエルの、抱腹絶倒の奮闘記の幕開けであった。

1962年、カリフォルニア北部の小さな田舎町を舞台に、ハイスクールを卒業し東部の大学へ出発しようとする若者たちの、最後の一夜を描いた愛すべき名編。スティーヴ(今や一線級監督のロン・ハワード)とカート(「JAWS/ジョーズ」以前のリチャード・ドレイファス)は故郷での最後の夜を楽しく過ごそうと、テリー(「アンタッチャブル」のチャールズ・M・スミス)とビッグ・ジョン(ポール・ル・マット)を誘い町に繰り出す。暴走族の仲間に入らされたり、酒を買おうと四苦八苦したり、マセた女の子にせまられたりという数々のエピソードが、当時のヒット・ナンバーに乗せて軽やかに描かれるが、やがてそれぞれの決意を秘めた朝がやって来る……。今や定番と化した感のある、懐メロ青春群像モノの原点であり最高峰、後の青春映画に与えた影響は大きい。

フロリダ。高校の人気教師サムが、教え子のケリーからレイプされたと訴えられ、裁判が開かれることに。だがケリーのクラスメイトのスージーの証言によって事件はケリーの狂言だと暴露され、サムが多額の慰謝料を手にして裁判は終結する。それに不審を抱いた刑事デュケは再捜査に乗り出すが、実はサムはケリーやスージーと裏で手を組んでいたのだった。しかも事態は、その後も意外な方向に突き進んでいく。