1976年6月27日、テルアビブ発パリ行きのエール・フランス機139便が、アテネ空港出発30分後にハイジャックされた。乗客は245人。飛行機はリビアを経由して、ウガンダのエンテベに着陸。イスラエル人(ユダヤ人)以外の人質全員が解放され、テロリストたちは世界各国に拘留されているゲリラの釈放を要求する。要求のタイムリミットは7月4日午前11時。イスラエルのラビン首相はショムロン准将を司令官に精鋭部隊を組織。決死の救出作戦を展開する・・・。
1976年6月27日、イスラエルからフランスへ向けて飛び立った民間旅客機を、武装した4人の男女がハイジャックする非常事態が発生。4人のうちの2人は、パレスチナ解放人民戦線のメンバー。残る2人は、彼らのシンパであるドイツ極左組織のメンバー、ヴィルフリードとブリギッテ。彼らは、エンテベ空港に旅客機を緊急着陸させると、大勢の乗客乗員を人質に取り、イスラエル政府に対して厳しい政治的要求を突きつける。