1906年、辛亥革命前夜の香港、腐敗した清朝の打倒を目指す孫文が香港を訪れ、武装蜂起の密談に臨む情報を入手した活動家の陳少白は、同時に清朝政府が刺客を派遣したことも知る。少白は孫文を守るために護衛団の結成に奔走するが、集まったのは町の商人や物ごいに身を落とした武術家など、名もない民間人たちだった。

1879年、英国の植民地・南アフリカ連邦ナタールで、隣接するズールー族に対して、一方的な統治の勧告。この政策はズールー王を戦いに駆り立てた。この土地とズールー族に精通しているダーンフォード大佐は、将軍の軍略ミスを指摘するが、受け入れられず、結局不本意な態勢で敵に向かったあげく、ズールー族軍の圧倒的な勢力に向かうこととなり・・・。