1940 年 10 月、イタリア海軍潜水艦コマンダンテ・カッペリーニは、イギリス軍への物資供給を断つために地中海からジブラルタル海峡を抜けて大西洋に向かっていた。その作戦行動中、船籍不明の貨物船に遭遇する。艦砲を装備し、戦争地帯で灯火管制をしての航行であったためこれを撃沈。だがそれは中立国であるはずのベルギー船籍の自衛武装を備えた貨物船カバロ号だった。“イタリア海軍一無謀な少佐”サルヴァトーレ・トーダロ艦長は「我々は敵船を容赦なく沈めるが、人間は助けよう」とその乗組員たちを救助し、彼らを最寄りの安全な港まで運んでいく決断を下す。だが狭い潜水艦の艦内に彼らを収容するスペースはない。しかもその決断は、潜水艦唯一の長所ともいえる敵に見つからないよう潜航するのをあきらめ、自らと部下たち、さらには艦を危険にさらすのを覚悟のうえで、無防備状態のままイギリス軍の支配海域を航行することに他ならなかった——。
昭和14年、世界情勢が大きく揺れ動く中、時の海軍次官・山本五十六は、日独伊三国同盟に最後まで反対するが、彼は連合艦隊長官に任命され、同盟も締結されることに。その後、彼が懸念した通り、日本とアメリカの関係は悪化の一途をたどり、やがて両者の対決が不可避の情勢となる。お互いの国力の差をよく知る彼は、真珠湾奇襲という大胆不敵な軍事作戦に打って出、先手必勝で相手をたたいた上で早期講和の道を探ろうとする。