1942年、ミュンヘン出身の若い女性ユンゲはヒトラーの個人秘書の職を得る。それから月日は流れて1945年、第2次世界大戦は大詰めを迎え、ヒトラーはごく限られた身内や腹心の部下たちとベルリンのドイツ首相官邸の地下要塞に逃げ、そこで不自由な生活を送る。敗北の気配が濃くなる中、ヒトラーはまだ反撃のシナリオを熱っぽく語るが次第に部下たちは彼から離反していき、ユンゲは歴史の証人としてその光景を静かに見守る。

1942年1月20日。国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒは、ナチス親衛隊と政府高官ら15名を、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖のほとりにある邸宅に招集する。「ユダヤ人問題の最終的解決」についての会議が開かれ、彼らはヨーロッパの全てのユダヤ人を抹殺する計画について話し合う。会議ではユダヤ人の移送、強制収容、強制労働、計画的殺害などが異論なく議決される。