大衆娯楽の王様である映画を彩る音楽が、音楽の都ウィーンのラシックの殿堂、あのニューイヤー・コンサートの会場ムジークフェラインの黄金のホールに朗々と響く。 しかも演奏はクラシック音楽の伝統と精神を脈々と受け継ぐ世界最高のオーケストラ、クラシックのスーパー・エリート、ウィーン・フィル。現代の大衆娯楽と伝統的な芸術の幸福な出会いという意味でも歴史的な公演。演奏前からスタンディング・オベーションで熱狂する聴衆と、演奏者たちの気合のこもった白熱の演奏が全てを物語っています。

1959年、バーモントにある全寮制の名門進学校にやって来た新任の英語教師。破天荒な授業を通して、詩の美しさや人生の素晴らしさを説く教師に惹かれていった生徒たちは、彼がかつて学生だった頃に作っていた“死せる詩人の会”という同好会を自分たちの手で復活させる。ドラマの背景となる、初秋から冬にかけてのニューイングランド地方の風景も美しい。

40歳を過ぎた広告マンのレスター・バーナムと上昇志向たっぷりの妻キャロリン。彼らの家庭生活に潜む歪んだ真実が徐々に暴かれていく。妻は夫を憎み、娘のジェーンは父親を軽蔑している。そして会社の上司はレスターにリストラによる解雇を告げる。そんな毎日に嫌気が差したレスターは、人生の方向転換を図る。しかし、自由と幸せを求めるレスターを待ち受けていたのは、あまりにも高価な代償だった。

1959年、オレゴン州の田舎町に暮らす12歳の仲良し少年4人組、背が低いゴーディ、リーダー格のクリス、メガネのテディ、ふとっちょのバーンは思春期を迎え、親や兄弟に対する愛憎や将来の不安などそれぞれ悩んでいた。ある夏の日、彼らはクリスの兄ら不良グループから、行方不明になった少年の遺体が森にあるという噂を聞く。遺体を発見できれば英雄になれると興奮した4人は、こっそり家を抜け出して探索へ出発する。

花き農家の息子のレオと幼馴染のレミ。昼は花畑や田園を走り回り、夜は寄り添って寝そべる。24時間365日ともに時間を過ごしてきた2人は親友以上で兄弟のような関係だった。 13歳になる2人は同じ中学校に入学する。入学初日、ぴったりとくっついて座る2人をみたクラスメイトは「付き合ってるの?」と質問を投げかける。「親友だから当然だ」とむきになるレオ。その後もいじられるレオは、徐々にレミから距離を置くようになる。 ある朝、レミを避けるように一人で登校するレオ。毎日一緒に登下校をしていたにも関わらず、自分を置いて先に登校したことに傷つくレミ。二人はその場で大喧嘩に。その後、レミを気にかけるレオだったが、仲直りすることができず時間だけが過ぎていったある日、課外授業にレミの姿はなかった。心ここにあらずのレオは、授業の終わりに衝撃的な事実を告げられる。それは、レミとの突然の別れだった。 移ろいゆく季節のなか、自責の念にかられるレオは、誰にも打ち明けられない想いを抱えていた…。

土曜の休日と言うのに学校に登校させられた高校生5人。彼等はさまざまな問題を起こした懲罰として自分についての作文を書かされるハメになった問題児ばかりだった。大きな図書館に軟禁状態にされ、何から書いていいのかわからないままだらだらと時間だけ過ぎて行く中、雑談からお互いの身の上話を交わし始めた彼等は次第に心を開かせて行く。<ジョン・ヒューズ監督が、デビュー作「すてきな片想い」に続いてM・リングウォルドを起用し、その魅力を十二分に引きだして彼女の人気が大ブレイクするキッカケにもなった、いわゆる“ヤッピー映画”の傑作。>

“妹の身に何か起きたら、すべてを壊してやる。それが国家でも、軍隊でも” 汚名を着せられ殺された工作員の父親が原因で北朝鮮の収容所に監禁された兄妹。兄のミョンフン はたった1人の家族である妹へイン の命と引き換えに、韓国に潜伏し暗殺指令を遂行する工作員になる。

ひよわな転校生ダニエルが恋した少女は、カラテの高校チャンピオンが狙っている娘でもあった。ある日不良グループにからまれた彼は、ミヤギと名乗る老人に助けられる。ミヤギは、自分を守るために使うのならカラテを教えよう、と言うが……。「ロッキー」のJ・G・アヴィルドセン監督がおくる、カラテ少年を主人公にしたスポーツ青春映画。

美しくてかわいく、それでいてどこか謎めいたところのあるリズボン家の5人姉妹。ヘビトンボが、美しい郊外の街を覆いつくす6月、そんな5人姉妹の末妹セシリアが聖母マリアの写真を胸に抱きながら、剃刀で腕を切った。一命はとりとめたものの、彼女は数日後、自宅で開かれたパーティーの最中、窓から身を投げて命を落とす。繊細でかつ危うさを秘めた思春期の少女達の揺れ動く心情を、巨匠F・F・コッポラの娘にしてこれが監督デビュー作のソフィア・コッポラが瑞々しいタッチで描いたドラマ。