細菌を浴びた過激派がヨーロッパ大陸縦断列車へ逃れた。車内には伝染病が広まり、機密の漏洩を恐れた軍は秘密裏に列車をポーランドへ運び隔離しようとするが、その路線には老朽化したカサンドラ大鉄橋が横たわっていた……。

ゴダール版“カルメン”の映画化で彼自身も精神衰弱気味のカルメンの伯父役として登場している。物語は銀行強盗団の一人カルメンと、彼女を追っていた警察官との禁断の愛を描く。なおこの年“カルメン”の映画化が頻発したのは原作者ビゼーの著作権が切れたため。(allcinema)

1976年6月27日、テルアビブ発パリ行きのエール・フランス機139便が、アテネ空港出発30分後にハイジャックされた。乗客は245人。飛行機はリビアを経由して、ウガンダのエンテベに着陸。イスラエル人(ユダヤ人)以外の人質全員が解放され、テロリストたちは世界各国に拘留されているゲリラの釈放を要求する。要求のタイムリミットは7月4日午前11時。イスラエルのラビン首相はショムロン准将を司令官に精鋭部隊を組織。決死の救出作戦を展開する・・・。

核兵器に反対する市民団体『人民の会』の一部過激派がテロを計画。イギリス治安当局はそれを察知、陸軍特殊部隊SASのスケルン大尉は過激派リーダーのフランキーに接近するよう命じられる。ようやく過激派がアメリカ国務長官ら要人の集まるパーティが催されている米大使公邸を狙っていると掴むが、時すでに遅く、楽隊と入れ替わっていた過激派は公邸を占拠。そしてフランキーは、スコットランドの軍事基地に核ミサイルを発射するよう要求する。

1976年6月27日、イスラエルからフランスへ向けて飛び立った民間旅客機を、武装した4人の男女がハイジャックする非常事態が発生。4人のうちの2人は、パレスチナ解放人民戦線のメンバー。残る2人は、彼らのシンパであるドイツ極左組織のメンバー、ヴィルフリードとブリギッテ。彼らは、エンテベ空港に旅客機を緊急着陸させると、大勢の乗客乗員を人質に取り、イスラエル政府に対して厳しい政治的要求を突きつける。